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ウィーンフィルの管楽器と言えば、独特の構造・メカニズムをもつ楽器ぞろいで、使われるのはウィーン周辺に限られます。このローカルな楽器が独自の奏法とあいまって深い響きをかもし出し、グローバルな人気を獲得しているのです。そしてその大半が第2次大戦以前に職人の手で作られたものでした。しかし、70年代当時のヨーロッパは市場性の限られたウィーンスタイルの管楽器を製作するには深刻な後継者難に陥っており、新しい楽器のオーダーはもとより、修理もままならず、老朽化した楽器を苦労して使っている状況でした。こんな状況を背景に、彼らは伝統の継承者、新たな楽器のサプライヤーを探していたのです。

(中略)

しかし、伝統の継承は、決して平坦な道のりではありませんでした。特に困難を極めたのはトランペットで、75年の第1号試作ですでにオリジナルの楽器を部分的に上回っているとされても、ハードルは試作の度ごとに高くなっていきました。中でも、往時の首席トランペット奏者で当時ウィーンフィル楽団長だったヘルムート・ヴォービッシュ教授の執念はすさまじく、所蔵楽器の一部を自らの手で切断して材質の分析を促すなど、惜しみない協力を提供、ヤマハも採算を度外視した情熱でこれに応えていったのです。

開発の成果を物語る「アイーダトランペット」のエピソードをご紹介しておきましょう。この楽器は、ヴェルディの歌劇「アイーダ」第2幕の有名な「凱旋のマーチ」で使われるファンファーレトランペット。1978年[昭53]、例によってジンガー氏から「今あるものは音程も鳴りもひどい、サンプルを1本作ってくれ」と依頼を受けました。途中、材質をヴォービッシュ氏提供の楽器の分析から生まれた合金に変更する一幕もありましたが、無事期日までに12本が完成しました。この楽器、実は、カラヤンが指揮・演出をする79年夏のザルツブルグ音楽祭の上演で使われるものだったのです。楽員たちがカラヤンに聴かせたのは、音楽祭に先立って収録されたレコーディングでのこと。ファンファーレが終わった瞬間カラヤンはタクトを置きました。厳しい表情で「それはどこの楽器だ?」と聞くカラヤン。「ヤマハで作りました」とヴォービッシュ──。カラヤンが「素晴らしい」と満足の言葉をもらすと、オーケストラ、合唱の間から期せずして拍手が沸き起こったといいます。世界最高の指揮者とオーケストラに折り紙を付けられたヤマハアイーダトランペットは、ザルツブルグでも輝かしい響きで上演を成功に導いたのでした。

YAMAHAすげええええええ

ここで培った技術やウィーンフィルから得た信頼を考えれば、YAMAHAは採算を度外視したおかげでとても大きなチャンスをものにしたんだ。


ヤマハの楽器良いっていうけど、安いのしかおいてないんだよねーー。良いやつも触ってみたい。