敬虔なイスラム教徒である男子サッカーのモロッコの代表が、「ラマダン中につき試合の時間は水分を補給できない」というニュースがあった。日本人はそれを聞いて驚き、中には笑う人もいるが、一方別のところでは勝つために審判を買収したり薬を使うような人もいる。勝負事というのは実力と実力のぶつかり合いという綺麗なものではなく、ルールをどれだけ知っているか、ルールをどれだけ利用できるかという、実力からかけ離れたくだらないところで決まる部分も大きいと思うのです。


 人が皆テレビにかじりついてテレビが国民の興味を独占することができた間、オリンピックは多大な宣伝効果を発揮するイベントで、それを見て熱狂した人々はなおテレビに引き込まれていったと思います。なので19世紀末に生まれたオリンピックは、相思相愛であるマスメディアが興隆していくのに伴い、一緒に肥大化していきました。
 でも今はインターネットの時代です。ユーザーがそれぞれの興味に従ってドキュメントやムービーを漁るようになると、かつてのようにスポーツ放映が多大な広告収入を得る機会とはならなくなります。


 所詮は商業主義的なところを端に生まれたということを踏まえると、勝っただ負けただという次元に終始するスポーツ観戦という文化は(無くならないにしても)今後縮退していく気がします。スポーツ自体、各々が体を動かし、精神修養を兼ねて楽しむ運動として、地味に、そして健康的に残っていくと思います。




 ていうかスペインって、水飲めないモロッコと引き分けたホンジュラスと対戦して、負けたのか。。